歴史小説「黎明の坂」第二巻|増田祐美ウェブサイト

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小説「黎明の坂(二)」木曾義仲・源義経いよいよ平氏に迫る!

第二巻は義朝の末子牛若の成長から一の谷合戦までを描きます。
平治の乱から20年。永遠につづくかと思われた平氏の栄華は、源三位頼政の蜂起によって揺らぎ始めます。
全国の源氏に檄を飛ばした頼政に、その秘蔵っ子義経も呼応、兄頼朝と鎌倉で三年間寝食を共にしたのち、
ついに鎌倉軍先鋒隊として京に乗り込みます。


神戸新聞総合出版センター
ISBN978-4-343-00763-6 1,800円+税
B6判ソフトカバー・600頁
歴史小説「黎明の坂」〈第二巻〉      →最新情報ブログ「桂林記」

ついに賴政頼政が蜂起

 
 

義仲・義經義経

 いよいよ西の龍 平氏に迫る

老将賴政頼政は、なぜ安住を捨てて起ったのか。
平氏の、地方におけるおのが家人の優遇、都での圧政、嚴島詣。
「言うまでもない。武門の雄平氏が引き起こした不条理を正せるのは、武門の本流源氏のみだ。
非家人、寺社、冷遇される王家の不満を吸収し得るのも源氏。ならば起つしかあるまい」
平治の乱から二十年。賴政頼政の蜂起に応え、各地の反平氏勢力が起ち上がる。
賴政の秘蔵っ子義經義経も、兄賴朝頼朝と鎌倉で三年間寝食を共にしたのち、
鎌倉軍先鋒隊として京へ乗り込む。

目次:  
鞍馬 

義朝末子・牛若、武芸を磨く!師は賴政頼政、渡邊競、鎌田兄弟。街で賊相手に実戦も。


奥州下向

袋の錐・牛若を京に置いてはおけぬ---淸盛清盛の思惑とは?


平泉

みちのくに花咲いた仏国土、平泉。九郎義經義経の恋も花咲く。


鹿の谷 成親や西光・俊寛が平氏排除を企てた鹿の谷事件。だが、真の黒幕はあの女院か?

賴政頼政蜂起

なぜ、老将は起ったか。単なる謀反でもなければ、来る源平合戦の単なる前哨戦でもない。

再会

「九郎殿、待ち兼ねたぞ」義經義経と兄賴朝頼朝を繫ぐのは、唐紅の牡丹のようなひと、常磐。


木曾殿

「父は義朝、兄は義平、平氏を追うたは義仲とこの義經義経ぞ」。九郎義經義経も認める男、義仲。


鎌倉軍入京 その義仲を九郎は斃した。九郎兄弟の目指すは国家の改革、平氏打倒にとどまらない。

一の谷

大手・蒲殿、山手・行綱、搦手・九郎義經義経。有名な逆落としは、一体誰がどこから?


春宵

京都守護・義經義経は囚われの重衡と語り合う。盛者必衰、諸行無常。だが、諸行は無常
なるがゆえに、生きる希望も、国を創る意欲も湧いてくる。



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神戸新聞さん(2013. 11.3付)が書評を掲載くださいました。

「黎明の坂」第二巻 神戸新聞書評
平安時代末期の源平争乱を舞台にした長編小説の第2巻。主役は初作の源義朝、義平父子から義経へと移る。多数の作家が描き、数々の武勇伝が残る源氏の英雄。著者は多彩な人脈を絡ませることで、新たな義経像に挑む。
牛若と弁慶ー。従来の歴史小説が定番としてきた物語は、本書には出てこない。むしろ、これまで歴史の表舞台にあまり出てこなかった人物に光を当てる。その新鮮さに、著者の狙いを感じる。
その一人が母常磐の再婚相手で、義経の義父でもある一条長成。
京・鞍馬寺に入る前の幼少時の牛若に、貴族としての教養を指南。長成が奥州藤原氏の政治顧問的な立場にあった藤原基成と縁戚関係にあった点を重視。平泉へ下向する際も、貴重な存在として登場する。
平治の乱後、源氏をとりまとめていた源頼政が武芸をたたき込む場面も興味深い。両者の存在が文武両道に精通していたと伝わる義経像に幅をもたしている。
舞台を平泉に移した後は、多くの出会い、初恋を経験。器量を備えた若者へと成長していく。
だが、最大の見どころは常磐の存在感だろう。当世一の美女は、前作で義朝、義平父子との恋に生きた。続編でも長成、頼政に加え、時の権力者・平清盛すら手なずける。奥州下向も、常磐の影響力を抜いては語れず、フィクサーと呼んでも過言ではないだろう。
だが、したたかさの根底には、わが子・義経への愛情がある。女から母親へ。常磐の強さを読み取るのも、本書の楽しみの一つかもしれない。
多くの人物を絡ませ、次々と変化する場面の全てに見せ場がある。読後は、協奏曲を聴いた後のような興奮に包まれる。それは神戸出身の著者がピアニストであることと無縁ではないだろう。
音楽家がつづる新たな大河小説。味わう価値のある新鮮な世界である。
評者=津谷治英・文化生活部



~「鵯越の逆落とし」の真相に迫る~

 清盛が死んだ二年半後、平氏は木曾義仲によって都落ちさせられました。平氏は一旦九州まで逃げたあと讃岐の屋島に入り、さらに福原(今の神戸市)まで戻ってきました。清盛が一度都を移した場所です。

 これを討つべく、鎌倉軍は二手に分かれて向かいます。大手は大将蒲殿範頼で、西国街道(今の国道171号線から2号線)を行き、東から生田の森を攻める。搦手は大将義経が丹波路(デカンショ街道・今の国道372号線)を進み、社あたりから南下して(今の国道175号線)明石へと出て、西から須磨の一の谷を攻める。東西から平氏軍を挟み討ちにする作戦です。この戦いで義経が平氏の陣へ奇襲をかけたとされるのが、有名な「鵯越の逆落とし」です。

 『平家物語』はそれぞれ三、四種の読み本と語り本に分かれます。
 読み本の方は、「一の谷の上鉢伏の峯」から、または「鉢伏蟻の戸」から、また「一の谷の上の山」から
逆落とししたことになっていて、実は鵯越から逆落とししたとは書かれていないのです。
 鵯越と言う地名は今、神戸市の兵庫区と長田区と北区の境界あたりに残っていますが、一の谷とは
10キロ近く離れた場所です。よって、一の谷を攻めた義経が逆落とししたのは一の谷を見下ろす鉢伏山、とした読み本各種には、一応矛盾はありません。
 一方、語り本では「一の谷のうしろ鵯越にうちあがり、すでに落とさんとし給うに」とあって、一の谷の
すぐうしろに鵯越があってそこから逆落とししたように書かれています。

 実は、「鵯越のさか落とし」というものは実際にありました。「さか」は「さか」でも逆さまの「さか」ではなく、坂道の「さか」ですが、一次史料を当たればそれが見えてきます。
 ちなみに『吾妻鏡』はここのところを、「源の九郎主、先に殊なる勇士七十余騎を引き分け、一の谷の
後山〈鵯越と号す〉に着す」としていて、これによれば鵯越から落としたことになるのですが、『吾妻鏡』は
平家物語を参照して書いていますから役に立ちません。

 そこで登場願うのが右大臣兼実の日記『玉葉』です。
 兼実は戦勝報告を受けて、「一番に九郎の許より告げ申す(搦手なり。まず丹波城を落とし、次に一谷を落とすと云々)。次に加羽冠者案内を申す(大手、浜地より福原に寄すと云々)」また、「多田行綱山方より寄せ、最前に山手を落とさると云々」と記しています。
 山の手を落としたのは、多田行綱だとちゃんと書いてあるのです。山の手とは、語り本では「鵯越のふもとなり」としており、読み本でも山の手を護る平盛俊の援軍に向かった平教經・通盛は、湊川より打ち上がり、北の岡に篝火を点したとあることから、現在の鵯越とみて間違いありません。

 つまり兼実の残したものによれば、鵯越から福原・和田の泊へと坂を駆け下ったのは多田行綱であって、義経ではないのです。それに、仮初にも義経が自軍から別働隊を割いて山の手に回らせることがあったとしても、搦手の大将軍である義経自身が本隊を離れて山の中へ入っていくというのは、常識で考えても
おかしな話です。

 では、義経は一の谷をどう攻めたのか。
 それは・・・『黎明の坂』第二巻でお確かめくださいませ!

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「黎明の坂(一)」 ISBN978-4-343-00732-2 1,700円+税
「黎明の坂(二)」 ISBN978-4-343-00763-6 1,800円+税
「黎明の坂(三)」 ISBN978-4-343-00814-5 1,700円+税
「黎明の坂(四)」 ISBN978-4-343-00882-4 1,700円+税

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