プロフィール|ピアノ演奏とレッスン/大阪・神戸|増田祐美ウェブサイト

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プロフィール

増田祐美 ますだゆみ 神戸生まれ。
中学時代にピュイグ・ロジェの公開レッスンを受ける。
20歳より演奏活動を開始。
東京音楽大学ピアノ演奏家コース中退。
東京女子大学文理学部日本文学科在籍中に演奏活動を再開、ピアノソロのCDを制作
(ビクター音楽産業)したのを機に、ディナーコンサートや企業主催のイベントなどに出演。
平成25年1月、歴史小説『黎明の坂(一)』を刊行。
平成25年10月に『黎明の坂(二)』、平成26年8月に『黎明の坂(三)』、
平成28年6月に『黎明の坂(四)完結編』を刊行。

演奏家としての顔
四歳四か月からピアノを始める。
が、中学三年のはじめに物理的な理由で一度やめている。
何のことはない、「その手の大きさではピアノ科の受験の課題曲は無理なので
作曲か楽理で入ったほうがよい」と関西の大御所に言われたからだ。
教授の中では大学と言えば東京芸大、それ以外の音大のピアノ科へゆくくらいなら
芸大の作曲か楽理へゆけ、という。幼いころから競争に晒されてピアノをやってきた私も、
当然ながら芸大へゆくものと思っていた。
父の従妹もやはり同じ物理的問題で芸大の楽理科に入り、出てからは縦横にバイオリン演奏を
行っていたのでちょっと考えないでもなかったが、楽理も作曲もどうも嫌、芸大の課題曲すら
弾けない手ではどうせコンクールも無理、ならばやめてしまえ、となったのである。

とはいえ長年続けてきたピアノ。
いきなり触らなくなるのも、と高校に入る前に某大学の助教授に習うことにしたのだが、
やはり身が入らずにやめてしまった。
中途半端にピアノを続けていたために、学校の勉強も中途半端。
まして受験用の勉強などやっている筈もなく、高校卒業後は予備校へ。
これで勉強に打ち込めればよかったのだが、時間が経つにつれ、
本当にこのままピアノを放してしまってよいのか、と何とも言えない焦りが生じた。
「感性が無い」とか「聞くに堪えない」とか言われるなら迷いはしない。
だが、ただ手が小さいからやめるって・・・。

大学受験まであと二か月。そんな時であった。
知人があるレコードを教えてくれた。
名前しか聞いたことのない演奏家。ビクター赤盤の復刻ものだ。
針を落として驚いた。
何、この雑音。シャーシャーいっている音の向こうから、微かに聞こえてくるピアノの音色。
だがそれは、進んだ技術で録音されたものしか聞いていなかった耳に、
「ミスなく、速く、粒立ち揃えて、がなんぼのもんじゃ」を
嫌というほど叩きつけて来たのだ。
そう、音楽とは何か、を。

これで私は決めた。「もう一度、音楽をやろう」。
ただしクラシックをやる以上、専門の教育は受けたほうがよかろう、とその時は考えた。
で、普通はここで誰に習おうかと考える(大概は受ける大学の教授か助教授)のだろうが、
私はそれをしなかった。
もう三年近く、ほとんどピアノに触れていないし、どこを受けるか決めかねて
いたこともあるが、音大には受験生を対象にした夏期と冬期の講習会があるので、
それに参加すれば何とかなるだろうと思ったからであった。
夏期講習は東京の某大学へ。その後に一度志望校を変更。
その志望校の四年生と知り合う機会があって、九月半ばだったか、電話をくれた折に、
課題曲はまだ練習していないと言うと、「あら、嫌だわ」とびっくりされてしまった。

当然だ。
願書は普通の大学と同じころに頒布されるが、音大の課題曲は一年前には間違いなく決まっている。
しかも受ける大学の先生についていればもっと前からわかったりする。
つまり、一年かけて課題曲を仕上げてゆくというのが、大方の音大受験生の正しい姿なのだ。
それで私はというと、十月に入ってさらに志望校を変更した。
「九月に入って課題曲を練習していないなんて、あなた大変よ・・・」そう言ってもらったおかげで、
少しやる気になってしまった。
ならばいっそのこと、そこよりもっと課題曲のキツい、芸大を受ける人が掛けて受けるというところに
してみようか。
課題曲は芸大とほぼ同じ、違うのはショパンのエチュード五曲。
これが芸大では指定されているために私にはハンディとなるのだが、
私が受けたところ(東京音楽大学ピアノ演奏家コース)は、その五曲を二十四曲の内から
この手で弾けるものを自分で選べるのだ。
それに、確か前前年に、日本音楽コンクールでここの学生が芸大生を抑えて優勝している。
いいじゃないか。
ピアノ科は百人からいるが、演奏家コースは十人ほど。だが、決めればやるしかない。
年末の冬期講習ではじめてその大学の非常勤講師と顔を合わせ、
年明けてから教授、助教授の一回ずつのレッスンも含めて数度東京へ通い、
旋律や和音の書き取りなどという、六年近くもブランクのあるものを、これも習おうとせずに
カセットテープを取り寄せてぽつぽつと練習、初見演奏という試験項目もあったが、
これは出たとこ勝負でいっさい準備せず・・・いい加減なものだが、余り心配はなかった。
「あの、どんなものでしょうか」。
非常勤講師が尋ねたのに、教授がこう言ってくれたからだ。
「ああ大丈夫、この人受かります」。

その大学を、私は一年の前期のみで退学した。
理由は原稿用紙四、五枚ほども書けるが、やめておく。
私がなぜ再び音楽をやろうと思っているのか、私は入学前に丁寧に担当の非常勤講師に
説明したつもりであったが、理解してもらえなかったらしい。
やめる前、相談に乗ってくれた助教授がしみじみと言った。
「あなたの感性は、あの人とは合わないんだよねえ」。

退学はしたが、音楽をやめるなどさらさら考えなかった。
何をやりたいかが決まっているのに、やらずに終われるか、だ。

コンサートひとつ開くにも、師にお伺いを立てなければならなかったりする。
たとえば、ショパンの前奏曲は二十四曲が一組となっているのだが、
その中から好きなものだけを数曲弾いたなどと言おうものなら、
「あらあなた、あれは二十四曲まとめて弾くものよ」
と疑いもなく忠告されるのだ。
好きなものだけ弾いて何が悪い。
何なら本場ヨーロッパの、1900年代初頭に録音されたレコードを聴いてみるがよい。
二十四曲どころか、一つの曲の途中から録音しているものすらあるのだから。

。。。。。。。。。。。。。。。。
増田祐美(ますだゆみ)プレス紹介 演奏活動は音大入学前の二十歳からをはじめた。
音大退学後に入った東京女子大学在学中にピアノソロのCDを製作、
これを機に本格的に演奏活動を再開した。

「なぜ東女に?」。
ピアノのことで取材してくれたK新聞のN記者に尋ねられて、「近いから」と答えた。
当時は高円寺に住んでおり、大学の最寄り駅まで電車で三駅、
都心とは逆方向へゆくので、通勤ラッシュに巻き込まれないのもよかった。
私の答えを聞いて彼はのたもうた。「おっさんですね」。
憤慨したほうがよいのか、周りの者たちと一緒に笑ったほうがよいのか、
未だに悩んでいる。

ディナーコンサートや企業主催のイベントのほか、会員制クラブやレストランなど
でも演奏し、いろんなジャンルのものを弾くようになって、ジャズでもロックでも
クラシックでも良いものは良いの思いはますます強くなっている。

また、SONYスーパーフェア等において、DAT(デジタルオーディオテープ)生録音会
[お客さん全員が私の演奏をDATに録音し、実際の演奏とテープにとった演奏を
聞き比べ、さらにそのテープはお持ち帰りという、空恐ろしい企画] を経験してしまい、
変な舞台度胸がついてしまったのは、よかったのかどうか・・・わからない。


~自主企画のディナーコンサートは”ワインを傾けながら。。。”~

 ディナーコンサート風景

大好きなピアニスト、ウラディミール・パハマンのことば、

「よい演奏は、ステージ上で精神を集中して気持ちを固くしたまま行い、
聴衆も夢中になってそれを凝視しているようなときには、決してありえるものではない。
よい演奏は人の心に柔らかく溶け込んで自然に伝わるものでなければならないものだ。
そうするためには、客間の中で親しい人たちと喋りながら演奏するような固くならぬ精神状態で
弾かなかったならば、そうはならないのである。
・・・・本当は客間のような小ルームで、皆と話をしながら、しかもお互いに一杯呑みながら弾くのが
いちばん望ましいのだ。
(野村光一”パッハマンの想い出”より)

を、本人は実践しているつもりでいる。

最近のプログラム構成は、前半はクラシックの珠玉の小品、後半は日本の叙情歌・世界の民謡など、
自ら編曲したさまざまなジャンルのものにしている。

休憩中はいつも、来て下さった方々の席を回って語らいを楽しむ。
コンサート当日までの、血を吐くような練習が一気に報われるそのひと時を、
お客様が共有してくださる喜び。

私の演奏を楽しんでくださる方がいらっしゃる限り、やめるつもりはない。



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